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~目指せ、ブログ界のテレビ東京~

私たちはいつまで「女子」でいなきゃいけないのか

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若作りとは自分を安売りすることだ。

美魔女に見る幼稚さ

彼女たちはキレイだけど年下の人のマネばかりをしてて幼稚な印象を受けてしまう。美魔女コンテストに出る過程の密着取材を見たことがあるが、自分磨きを頑張る母を横にいた娘は呆れていた。

 

今や美魔女やちょい悪オヤジは大きな市場になって仕掛け側にとっては良い消費材であると思っている。美魔女の年代に必要とされる価値は100%の若さではないはずだ

娘は求められた価値を差し置いているのを感覚的にも知っているからイタイ目で母を見る。

“30代の女性”と“30代に見える50代の女性”なら、本物の30代の女性に行く。

 

 

パリジェンヌの美しさを見習いたい

logmi.jp

上の記事は自分らしく美しく生きるパリジェンヌがテーマ。

美魔女のように取り繕わない年を重ねた美しさとは、自分の哲学を持って肩の力を抜きつつ、自由であることの美しさを謳歌しているという内容だ。

 

記事を読むと日本の若さを過剰に求める社会が鬱陶しくなる。

キレイになりたいのは良いことなんだけど、CMでは「-5才肌」「かわいいは作れる」など若さを求められる場面が多いのがずっと違和感だった。その-5才肌は誰に何のために向けたものだろう。購買する当事者が若作りに励むと何が起きるのか。

 

 

 

子供おばさんが増えて

そして、大人の女がいなくなる。

 

 

 

大人の仕事は可能性を見せること

通販のCMで背格好が20才みたいなファッションで実年齢は60才の人がいた。イキイキと「若い人のファッションができて幸せ」と言わんばかりの笑顔を見せている。喜ばしいが自分の年齢を楽しんでいないようで寂しかったのを覚えている。

 

20代の私からしたら、上の年代が無理しているとこっちが困るのだ。全然人生が楽しそうじゃない。大人の仕事は可能性を見せることじゃないのかと。その頬をひっぱたきたくなる。

 

 

散々言ってきた割に、60才を過ぎると女性に見られなくなると本気で信じている自分も悲しい

例えばバラエティー番組で高齢者と30代のカップルを見るとスタジオは祝福をする。最期の春を歓迎している良い流れ。

でもホントのところ、自分が付き合うとなると絶対に手を出さない領域なんでしょう。付き合うとなると対等な男女関係よりも介護に先に目がいってしまう。敬意を示さないといけないプレッシャーからおちおち愛し合えない。

結局、老婆認定された女性を女として見れるのか?は誰に聞いてもわからなかった。

 

 

若さへの執着。もう一つの違和感。

社会は自分の時間軸で生きることを許してはくれないのではないか?

市場価値などを見据えた「他人の時間軸」も半ば強引に人生のイベントに組み込まれる。私たちは年齢と共に生きている。街中にいる人が自分の時間軸と共に生きてると思うと非常に感慨深くなるものだ。

 

 

他人の時間軸に引き込まれそうになったら備える

美醜の箱から出るには自分は若くないし不細工であるという歴然とした事実と向き合いつつも、無関心でいること

そういう自己受容は立派な社会貢献であり、他者から「憧れ」という報酬を死ぬまでもらい続けられる可能性がある。若いままではけしてもらえないこの大きな価値は自分に還元されるに違いない。

 

 

日本人女性よ

元からあるものを無視してまで

美人になる必要なんてないのだ

 

 

私は今の若さを大事にしたい。もっとオシャレがしたい。

26才の時に出た感情をその年のうちに表現するのが目標である。

 

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