多様性とは「ウチはウチ、外は外」である~偏見プレゼン登壇

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※ココ一番の偏見ぽい顔で記念撮影。著者は最前列真ん中のロングヘアーです

 

 

きっかけは偏見×プレゼンの登壇

ため込んでる偏見を話すチャンスに恵まれました
プレゼンの内容から偏見の必要性について書きますね

 

~ざっくり内容~

・偏見×プレゼンとは
・就活女子の歩き方はのろまな馬みたいでダサ苦しい
・偏見は持ってはいけないのか?
・偏見と差別ってどう違うの?
・多様性って必要なのか

 

どんなイベント?

以前かいたけどもっかいおさらい

新卒フリーランスになった堀元青年が世界初の試みとして「普段言えない偏見をTED風にプレゼンする」をテーマにイベントをしました。

イベントの宣伝はこちら

iamelly.hatenablog.com

 

わたしのプレゼンテーマ

youtu.be

「就活女子の歩き方がのろまな馬みたいでダサ苦しい」というタイトルです

内容をざっくり言うと
就活用のスーツとスカートはダサくできてるのに足元までダサイ!
スラッとした馬の足元と見比べてキレイかと思いきや?

街中にいる就活生は馬のようにぱっからぱっから音を立てながら歩くのはのろまな馬にそっくりだ!って流れです

 

そ・れ・と


主催者である堀元青年が書いたブログも読んでみて!
ここから全員分の動画が見られます

TED風に偏見をプレゼンするイベント「偏見×プレゼン」を主催しました

http://ken-horimoto.com/20160527181845



 

偏見を発信する遊びを覚えた

ライトな偏見が多い中でわたしのプレゼンは超個人的だったのと、共感できる流れにできなかった悔しさが残ります


でも、普段隠してる考えを見せるのは快感でした

実は準備の段階で15個ほど偏見が合って本当にお蔵入りしてよかったですよ

正直、まだまだ言い足りないんです。
今度お酒のつまみにでも披露しようかしら~~

本番ではしっかり指摘をされたけど楽しかったから次頑張ろう!と思ってたら

 


ふと気づきました


偏見って持ってはいけないのか?

 

 

偏見と差別の違い

持つことは本人の自由だけど他者の人権をはく奪するような言動は違いますよね
それは偏見ではなくて「人権侵害」です


「死ね」も人権侵害にあたります。


では偏見と差別ってどんな差があるんでしょうか?

似ているようで違う意味っぽい二つの言葉の意味、考えたことはありますか。

 

まず意味を確認から
以下のブログが事例を出していたのでわかりやすかったです

teruyastar.hatenablog.com

あの人はあれが凄いから全部OKは偏見。
あの人はそこがダメだから全部NGは偏見。
人や物事や情報を1つの物差しだけで測って他が見えなくなるのが偏見

差別は適材適所


スキルや状況によって「差」がある場合は区別する必要があるから差別である。
よって偏見ではなくて適材適所で決める。

その点、偏見は事実確認をしない、自己完結な考え方を盲信する姿ではないか?と解釈しました。

偏見って戦争のような悪い方向になりがちですよね。

それって自己完結して盲信する人が無知な他者を狙って共感を求めるから起きてしまうんです。

何回も根拠のないことを並べたらたぶん「そうかもしれない」と思う人は何%かいるんでしょう。
語感が心に響く。

こういった共感性が時間をかけてコミュニティになるから危ない方向に行ってしまうのかと。



多様性とは自分と他人の世界を分けること

では、次に多様性ってなんでしょうかね?
世界中でキーワードになっているものを立ち止まって考えてみましょう。


わたしはこの言葉にちょっともやもやしてます。


なぜなら多様性とは偏見をなくしてやさしさを与えて受け入れるのではないんじゃないかって。
適度な距離感で自分と他者の世界をわけることだと思うからです。



つまり、よく小さい頃に親に言われた人もいるでしょ?
「ウチはウチ!!外は外!!!」ってやつです
(おこづかいをあと100円上げてほしかったのに)

 

 

多様性は受け入れ方を間違えると共倒れする

わたしは学生時代によく友達の相談に乗ってました。
会うたびによく飽きないなーとなるくらい気になる人の相談を延々と。

わたしはよーく聞いて何かしらのアドバイスをしようとします。
無知な頭でひねり出す言葉は相手を安心させられず…


当時の相手を救いたい正義感があったからこその行動ですが
受け入れようとして一緒に悩んだら共倒れします。


相談する人って聞いてほしいのと、悩んでるからこそ他者の言葉が欲しいから求めているわけです

正義感のようなでは多様性にはならないんです。

 

 

多様性の究極は「仏」になること

もう一度言いますよ?
多様性の前提は「自己と他者の世界を分ける」です

これがないと健全な人間関係を築けません。
多様性を代表する言葉に「みんなちがってみんないい」があります。

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引用:http://www.tanpopoan.com/hibiki/misuzu/misuzu.html





「みんな」って誰から誰までなんですかね?




究極の多様性とは考えない人、
決めない人を認めることなんです。

 

初対面の人と教育問題について話をしているときに言われました。
わたしは自分で考えて行動することをモットーにしてるから共感はできそうにないんです。

だからすごいビックリしました。自分自身の多様性のなさに。


仏のようにうなづき

「あなたはあなただから、色々やっていいのよ?」
「世の中は人権侵害と犯罪以外なら何やってもOKよ?」

と、スッと思える姿が多様性のある人です

 

 

社会とは何でできているか?

あなたと
あなたのそのとなりにいる人と
あなたが知らない人が一緒の場所にいることです


自分自身が関心のある領域だけが「多様性」ではなく「社会」ではないんですね
わたしたちは見えない場所は見れないし見ようともしません。



地球から出ない限り永遠にあなたがいる場所は社会です。
世のルールさえ覚えておけば遊び方は無限大です。

 

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